ナニワおやじの逆さ海月♨

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第70回 オークス

 豚インフルエンザの影響で明日のFP試験の中止会場の案内が新聞に出ていた。「大阪商業大学」(大阪府東大阪市)「産業技術短期大学」(兵庫県尼崎市)「瀧川学園 瀧川中・高等学校」(兵庫県神戸市須磨区)の3会場は試験が出来ない様だ。私も前回に続き明日は次の級を受けにいくのだが、梅田会場は大丈夫だった。直前になって受験も出来ないのでは、しっかり勉強してきた人だと、時間とか努力が無駄になって、さぞやがっかりだと思う。私は、まだ不十分な仕上がりだけど。
 さて、という訳でまだ少し相続のあたりを読まないといけない。馬インフルというのは現在は発症してなくて良かったが。明日は時間もなさそうなので、今のうちにさっくりと予想。オークスは、シンプルに福永ジョッキーで行きたい。なんと言っても、04年優勝ダイワシエーロ(6番人気)、05年優勝シーザリオ(1番人気)、06年2着フサイチパンドラ(5番人気)、07年優勝ローブデコルテ(5番人気)と、去年をのぞいて、大活躍しているオークス男に。5,6番人気でよく勝っているのが今回もはまるか。そろそろ祐一という感じもする。ここは14番ジェルミナル、アグネスタキオン娘、上がりの脚に期待。単複、馬単総流しで。
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  1. 2009/05/23(土) 23:20:59|
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連休の終わりに 70年代~

 連休はとりたてて行楽にも行かなかった。天皇賞も当たらず、ゴールデンウィーク中の印象深い出来事は忌野清志郎さん(西暦51生)がなくなったことだ。
 音楽ネタをたどれば、昔、雪深い日本海側で育ったからか、中学時代は「DJごっこ」というのをやったもんで、ラジカセ持って集まりコタツに入りながら「春になりましたね、じゃぁ次は○○町の田中健二君からの葉書リクエストでアグネスちゃんのひなげしの花をかけますねぇ」とかアドリブでつぶやきながらカセットテープのお互いのお気にいりを鳴らしていく仕組み。一時チャット部屋で音楽を掛け合うのが流行っていたが、それに気持ち的には少し似ている。
 中学の頃、実家はコンポーネントステレオがなかなか買えず、私は長くエアチェック派だった。初めてのコンポは70年代半ばに、スピーカーは壁にかかっていた案内放送用のものを流用し、超特売のプレーヤーとナショナルUO-Zのアンプを買って繋いだものだった。そのコンポで聞くために初めて買ったLPレコードが中島みゆき(52生)の「私の声が聞こえますか」だった。もちろん、70年代初頭には拓郎(46生)青春の詩や陽水(48生)の氷の世界などが登場し、その頃72年に清志郎さんの「ぼくの好きな先生」を聴いて私はなんか違うとビビーンと気にいった。当時はガロや、チューリップな雨後の竹の子みたいに出てきて、偉大なるキャロルの矢沢(49生)も72年にルイジアンナで。大阪万博1970年のこんにちわ~高度成長を象徴していたのか。70年代半ばには、甲斐よしひろ(53生)山下達郎(53生)桑名正博(53生)憂歌団(メンバー木村氏が54生)チャー(55生)という豪華キャストが、まるで花火大会のスターマインの様に登場する凄い時代だった。私は学生時代、バイトで稼いだ銭があるときは木屋町に出てファイトした。学生アパートでは地方の出身者の後輩を集めては、菊正宗、サントリーホワイト、宝焼酎純なんてやりながら、自分で曲をかけて、照明も買って来て、みんなで踊ろうぜとディスコ系DJごっこで腰をくねくねしていた。その当時は、前述の雪国のコタツでジョッキーよりは、ディスコ系の勢いのあるDJもどきになっていた。佐野元春(56生)も出てきた。関西フォークのプカプカで有名なザ・ディランⅡにいた大塚まさじのライブに行ったり、カントリー音楽系で諸口あきら兄貴や受験生ブルースの高石ともやに影響され、自分でもブルーグラスを下手ながら演奏してみたりした。
 それでも私は酔っては必ず清志郎さんの盤を回したものだった。京都の小汚い4畳半学生アパートで、菊正宗の一升瓶を股間にはさみ、腰をくねくねしながらRCサクセションで踊っていた。清志郎さんはオーティスレディングを尊敬していて、ジェームスブランとのつながりや、ソウルやR&Bのバックボーンをしっかり持ってパフォーマンスをしていて、パンクロックって言うジャンルで呼ばれたりもしていたけど、回りの見方どうこうよりも自分が唄う芯が通っていたロッカーだった。これでまた惜しい人をなくしてしまった、心よりご冥福をお祈り申し上げたく候。
 
 さて、こんな風に、70年代の音楽のネタになると懐かしくてとまらないが、この連休中にもう一つ気になった件がある。朝日新聞の休日版にショーケンの記事が出ていて、大阪のミナミの方では、70~80年代のディスコを再現している店があるらしく、そこでは「大阪で生まれた女」がかかっていたりするそうだ。昨年は水谷豊(52生)が紅白に出たり大活躍したが、そういえば兄貴ぃー!の方はどうなっているのかと思っていた。萩原健一(50生)はテンプターズから、太陽にほえろ、傷だらけの天使、前略おふくろ、と70年代のTVドラマの流れを作り、そして79年にボロに提供された大阪で生まれた女を唄っている。今でも流れ出すと、タイムスリップした光景が浮かぶ、青春のかけらを置き忘れながら、それと共に心の何処かに染み付いた曲のひとつだ。ショーケンは83年に大麻、05年に交通事故、そして出演料をめぐって脅迫未遂で逮捕されて3年間の執行猶予となっていた。刑事やら、探偵やら、役回りでやってきていたから、ドラマで演じた役からの錯覚もあったかも知れない。でも、朝日が休日版でネタを振り出してきた位だから、私はカムバックが近いと思った。復帰して、故ジーパン刑事の松田優作(49生)の分まで活躍して欲しい。昨今の小室氏(58生)、草なぎ氏とかを、マスコミは結構叩いたが、私はコンプライアンスとして芸能人に甘いかも知れないけども、誰かをひどく傷害したり、子女や弱いものをどうこうしたのではないのだと思うと。本人が反省してたら、私的には仏の顔も二度三度までは許しちゃう気持ちもある。というところで、ぜひ兄貴ぃー!の復活には期待したい。虎のK本兄貴も連休では活躍、またたのんまっせでんな。
 ネットで調べ登場人物の生年を入れながら書いてみて、70年代を沸かせたこの人達が、もしもサラリーマンの60定年制に例えたならば、定年に近づいているところだ。勿論ずっと現役ミュージシャンでいられるのは自由業特権の代表例みたいなものだし、ファンはいつまでもステージを観ていたいと思う。そんな中で清志郎さんの様に少し早く逝ってしまったのは哀しさもある。
 それでもトータルに振り返れば70年代は百花繚乱の時代だったんだなと痛感した話なのである。
  1. 2009/05/07(木) 00:22:15|
  2. 音楽
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天皇賞139回 春

 このところブログ更新が滞りがちで、ネタ不足というのもあるけど、予想だけの書き込みになっていて反省。今日はこの後は、天皇賞をみて、植物を買いに行く予定になっている。まあそれ位が休みの過ごし方で、1000円ETCとなってから高速ではどこにも出かけていない。
 さて、このところ桜、皐月とあたっていて、この天皇賞で勝負に出たいのが⑬三角州絶叫デルタブルース。ケントク買いというのも嫌いでなくて、こないだからNYの空を政府の飛行機がとんで騒ぎになったというニュースがあったり、豚インフルエンザの騒ぎから、マンハッタンスカイが出てくればと思っていたが。いや、メキシコからの発祥で、メキシコ湾に注ぐミシシッピーデルタにつながるとみた。思えば私はブルースは好きで、マディーウォーターズなんかは大好きだったが、80年代の来日に見ることができなかった。松鶴家チトセがイェーイとか叫んでいたオリジナルはマディだろうと思う。
 天皇賞は4歳の活躍が高いなかで、いささか8歳ではあるが。角居厩舎の2頭出し、菊を勝った時も岩田で45倍ほどのオッズだった。長期休養開けの2戦目、馬体重が-8だが調教で駆けたのと今回マラソンだから良いとして。⑬の単複と馬連総流しでお願い。tennou09
  1. 2009/05/03(日) 15:29:35|
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